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考察:”無知の知”を使ったコミュニケーション

無知の知」とは、自分の無知を自覚することが真の知にいたる出発点であるというソクラテスの考え方の事をいうそうです。

何かについてあるいは誰かについて、分かったつもり、既に知ってるつもりになってしまうのは、多々あることです。
それは人間は分からないことがあると不安になってしまい自分の想像で分からない部分を補ってしまう性質があるからだと思います。

 

「私は、32歳のサラリーマンです」

上記のセリフを聞いてなんとなく分かったような気がしてしまいます。
(あぁ、きっと彼は9時には出社して少し残業して、手取りはだいたい30万円くらいで結婚しているかもしくは彼女がいて週末はどこかに出かけてるんだろうな)
さすがに、ここまで推測はしないとは思いませんが、少なからず自分の勝手な解釈が入り、それで彼について分かったような気がしてしまいます。
しかし、その人について知っていることは、”32歳のサラリーマン”ということだけです。それ以外のことについては分かっていません。

・何の職業なのか
・ずっとその職業なのか
・順風満帆なのか
・どんな働き方をしているのか
・オフには何をして過ごしているのか
・どういう性格なのか
・などなど

上記のことについては何も分かっていません。

現在、情報社会といわれるように個人がたくさんの情報を持つことができるようになりました。
持っている情報が多ければ多いほど、何かについてあるいは誰かについて知っている・分かっているような錯覚をしてしまいます。

彼について知らないことがあるということ(無知)を強く自覚することが
彼とのコミュニケーションを取る出発点となり円滑なコミュニケーションの切っ掛けとなると思います。