読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

人は”何面体”か

 人は物事を”カテゴリ化”する生き物である。

”カテゴリ化”とは、今見ているものが食べられるものかどうか、人間か人間ではないか、味方か敵かなど、対象物があるカテゴリに属するかどうかを見分ける力である。

もし、人にこの”カテゴリ化”の力がなければ、食べ物とそうでないものを見分けられないので、栄養補給がままならない状態になったり、男か女のカテゴリ化ができなければ繁殖もできず絶滅に瀕してしまう。

このようにカテゴリ化は人間が生きていく上で不可欠な力である。

 

 しかし、このカテゴリ化が日常生活で悪さをする場合がある。

カテゴリ化が”レッテル貼り”を促してしまう場合だ。

ある人と見た時、私たちはその人がどのカテゴリに属するのかほぼ無意識で見分ける。

男か女か、好きな人かそうでないか、有能そうな人かそうでないか、など。

そして”あの人はXXXな人”という結果を出す。

この”あの人はXXXな人”という結果を出すということは、ある意味でその人にそういう”レッテル”を貼り付けることになる。

もしそのレッテルがネガティブなものなら、その人を切り離す行動に出てしまうかもしれない。”あいつは気に食わないやつ”だから、切り放そうという具合に。

いろんな人にネガティブなレッテルを貼り付け切り離すことは、その人の世界を自分で小さなものにしていることになる。

このように、カテゴリ化は人が生きていく上で必要不可欠であるが、ネガテイィブなレッテル貼りを続出させるという行為に繋がる時がある。

 

 ネガティブなレッテル貼りをしてその人の世界を小さくするのを防ぐには、以下のことに気をつければ良いと考える。

 この世に完璧に良いものはないし、それと逆に完璧に悪いというものもない。全ての人は、良い面を持つと同時に悪い面を持つということが、普通である。

”あの人はXXXな人”とはその人の一面であり、今の情報だけではそのほかの面ではどうなっているか分からない。

レッテル貼りをしてその人のそのほかの面についての探索を打ち切るのではなく、
レッテル貼りを積極的に保留し、その人の隠れた面の探索を試みた方が、その人の世界の広がりに貢献すると考える。

隠れた部分に”素晴らしい面”や”自分と共通する面”があれば、儲けものである。

その人の”素晴らしい面”から学ぶことができるかもしれないし、”自分と共通する面”からその人との接点を持つことができるかもしれない。
これらのことはその人の世界を広げることに貢献する。

 

 サイコロは多面体である。

 完璧に良い面のみサイコロは存在しないし、完璧に悪い面のみサイコロも存在しない。

普段は見せない”素晴らしい面”や”自分と共通する面”を探索するようにコミュニケーションをとることが、その人の世界を広げるのに貢献するやり方であると考える。

(自分への戒めを込めて)

 

 

 

広告を非表示にする